ドロセルマイヤーズワークショップ FINAL(第1部)
ドロッセルマイヤーズワークショップに参加してきました.
感想と内容を混ぜて書くのが苦手なので感想は後ろにまとめてあります.
第一部前半:ゲームとは何か
カイヨワの遊びの定義以降、色々な着眼点から『ゲームの定義』が学術的にも語られてきた.いくつか例を挙げると、
クラーク・C・アブド
『2人かそれ以上の意思決定者による活動であり、彼らはある限定されたコンテクスト(≒環境、状況)において目標を達成しようとする』
バーナード・スーツ
『ゲームを遊ぶという事は誰に頼まれるでもなく、自発的に不要な障害を乗り越えようとすることだ』
等がある.また、ボードゲームやTVゲームの関係者も以下のように語っている
グレッグ・コスティキャン
『ゲームとはアートの一部だ.そこではプレーヤーと呼ばれる参加者が目標達成をめざし、ゲーム内の各種トークンを使って資源のやりくりをするために意思決定をする』
(※スライド1枚の長さでメモができなかったため、これだけ意訳します)
『ゲームは『ナニカ』によって人と接する.小説は読むもの、映画は見て、聞くものと決まっているがゲームは自由にセレクトできる. 文章を読む、音を聞く、映像を見る、ボタンを押す… 好きに使組み合わせた表現ができるんですわ』
しかし、これらの定義は最大限広いゲームの定義とは言いがたい.ソーシャルゲーム、ARG(リアル脱出ゲーム等)等も含め、ゲームという言葉が指す範囲が広がっているからだ.
ドロマイ的には『ルールによって面白さが生まれている遊び全て』という定義でゲームを作ってきている.
第一部 後半:ゲームの大分類
『ルールによって面白さが生まれている遊び全て』と定義されたゲームは正解と実行という2点に着目し、5つに分けることができる.
1.正解があり、実行も容易
決められたプロセスを楽しむ遊び(福笑い等)
2正解があるが、それが隠されている
正解を探す楽しみ(パズル、クイズ、なぞなぞ)
3.正解があるが、その実行が困難である
上達の楽しみ(スポーツ、アクションゲーム)
4.正解はないがベターと思われるやり方はある
創意工夫や仮説検証を楽しむ遊び(ボドゲは主にここ)
5.正解がない.運である.
ギャンブル
第二部では多くのボドゲが分類される『4.正解はないがベターと思われるやり方はある』に注目し、どう作っていけばよいかを考えていく.
感想
『面白けりゃゲームなんだよ』的な極論(まぁ、正論なんですが)をいう人は多いけど、だいたいそこで話が終わってしまうのでそのあとの分類まで踏み込んでいるところがユニークだった.
この大前提を意識しながら『自分のゲームとは何か?』をきちんと考えて作っていくのが重要なのかなぁ.『個性ある選択とそれによる展開を共有し、楽しむ場』という自分の狭い定義でゲームを作っていこうと思う.